大切な人、友人とは

私は、いつも優柔不断で外面だけ良くて偽善者で…そんな自分が大嫌いと思っていた。でも、そう思いながら相手をその気にさせるスキルは日々向上していくからそんな自分を心の底では大好きだったのかもしれない。猫をかぶっている自分、相手を振り回している状況、「本当優しいね」「素敵な人だね」と言われる優越感に浸ってその場面を心底楽しんでいたんだと思う。

 

今日、そんな自分が嫌だと感じる機会が2つもあった。私と全然違う価値観を持っている彼がかけてくれた言葉によってとてもはっとさせられた。1つ目は本当に大切だ思っている友人に対して。

 毎日仕事漬けで、お酒に逃げて、人が良いから自分を犠牲にしてまで相手のいう通りにして…そんな友人に私は毎日「ちゃんと休みなよ?今日こそは会社に泊まらず自宅に帰って寝なよ?」とか「がんばってね、でも無理をする必要は本当にないからね。」とかそんな言葉を繰り返し伝えながら交流を深めていた。それでも友人の生活が変わることはほとんどなかったし、私の心からの心配は届いていないんだなと寂しくなる時もあった。この状況を彼に伝えたところ、「あっそ。じゃあ身体壊すまで好きにさせたらいいんじゃない?」と冷たく突き放す言葉をくれた。それはあまりにもひどすぎないか、と感じたが「本当の友人なら、助けたいならその場から離したほうがいいんじゃない?なんで麻痺している認識を改めさせようとしないの?結局その日々の励ましは、身体を壊すのを先延ばしにしているだけでしかなくない?」と言われた。その通りだと思った。 この言葉をふまえて改めて友人と電話してみると、すごく冷静に友人を見ることが出来た。そして自分の思いも素直に伝えることが出来た。「私は本当にあなたを大切だと思ってるよ。だからこそ、私の心配する気持ちが伝わっていないのがとても悲しい。あなたは、日々の私の言葉に救われているというけど、結局行動の変わらないあなたをみて私は傷ついている。結局相手を変えるなんてことは出来なくて自分を変えるしかないのなら、今後も付き合っていく上で心から応援はするけどあまり心配するのはやめようと思う。いつか身体が壊れる時、あなたを取り巻く人々やあなた自身がやっと気づくはずだからそれを待つことにするね。」  初めて大切な人に冷たい言葉を浴びせた。苦しくて電話を切った後涙が止まらなかった。 こうやって真剣に伝えることはとても勇気がいることで、でもそれだけ大切なんだって改めて感じる事の出来る時間でもあった。 明日から友人との関係がどう変わったとしても勇気を出して伝えたこの行動は絶対後悔しない、そう思った。

 

 二つ目のエピソードは一つ目と真逆で自分にとっては負担だなと感じる人との関わりについて。

 最初に記載したように私は誰にでもいい顔をしてきた。特に異性に対して。でも正直そのいい顔につられる人は自分の理想の人なんかじゃなくて本気になられると面倒だなーって感じてしまう事が多かった。本当に最低だと自覚してる。今回もそう。交際している彼がいる事も、連絡を取っている大切な友人が何人かいることも全て伝えていたはずなのに、「僕を優先して」「もっと仲のいい友人関係を築いていきたいから連絡頻度を増やそう」何度もそう連絡をくれるその人に心底うんざりしていた。面倒くさくて仕方がなくて、連絡を無視することもあった。たまに返信するときもはっきりと拒否することもできず、中途半端なニュアンスでしか線を引けなかったから相手に通じずまた催促される…そんな日々が続いていた。

 でもそれについても相談した時、彼は「無視はだめだと思う。自分が愛想振りまいたことによって相手は良い友好関係を築ける相手を見つけたと希望を持ったのに、無視をするのは相手を長い時間傷つけて自分はその事実から逃げているだけだよ。自分で蒔いた種なんだからちゃんと自分の言葉で今の思いを伝えて終わらせたほうがいいと思う」そう言ってくれた。そう言われて、私は人の気持ちを踏みにじって転がすだけ転がして弄んでいるだけの最低な人間だと感じた。自分の行動が幼稚すぎて、恥ずかしくてたまらなくなった。だからはっきり「私にとっては大切な友人というよりも知り合いに近いという解釈です。あなたの想いは私にとっては正直重くて、その温度差がお互いのためにならない気がします。私たちの中を深めるのではなく、私には私に合う友人、あなたにはあなたに合う友人を探したほうがいいと沢山悩んだ末結論付きました。本当にごめんなさい」と素直に伝えた。 すっきりした。大人になって社会に出たら、色々な人と関わらなきゃいけなくなるけれど、私生活でもそうする必要はないんだなと思った。自分が気楽にいられる人と楽しい時間を過ごせればそれでよくて、みんなと仲良くする必要も、全員に平等に接する必要も、嫌な思いをしながら相手に合わせて関係を深める必要もないと感じた。でもそうなるためには自分の軸をしっかりもっていることが大切だと感じた経験だった。

 

この2つのエピソードをふまえて自己肯定感がめちゃくちゃ低い私は今日、もっと自分のことが嫌いになった。大嫌いになった。なんで彼のような思考を持てる脳みそで生まれなかったんだろう、なんて最低な人間なんだろう…そう思った。そして彼を改めて尊敬した。うらやましいと思った。

 

 でも一つプラスにとらえるとしたら、彼のいってくれた言葉を理解して納得できる自分の感性があってよかったと思った。そしてそういった私を「そうだね」と肯定して微笑んでくれた彼が隣にいることが幸せだなと、いい人に出会えたなと再確認できた。

私は他の誰にもなれないし、これから先新しい感性や考え方を得ることは難しいけれど「そのままでいいんだよ。そうやって他の視点に気づくためにいろんな人と関わって生きていくんだよ」と言ってくれた彼の言葉を大切に、私は私らしく、他者に支えてもらいながら明日も生きていこうと思う。今日は人として大きな学びを得られた一日だった。